当前位置

首页 > 语言学习 > 日语学习 > 日本词汇:“とても"的程度副词用法在过去是错误的!?

日本词汇:“とても"的程度副词用法在过去是错误的!?

推荐人: 来源: 阅读: 1.75W 次

「とても大きい」のような「とても」の使い方は,昔は間違いとみなされていた。本当でしょうか。

日本词汇:“とても

像「とても大きい|非常大」中「とても|非常」的用法在过去是错误的。这是真的吗?

「とても」の歴史

「とても」的历史

「とても」という言葉は,古代から現代に至るまでに意味や用法の大きく変わった語として,しばしば研究で取り挙げられてきました。国立国語研究所コーパス開発センター編の『日本語歴史コーパス』を使って,「とても」の流れを確認してみます。

「とても」一词从古至今,含义及用法都发生了巨大变化,一直以来常有学者对它进行研究。(如涌井澄子《程度副词「とても」的研究——主要探讨从陈述副词转变为程度副词这一过程中其用法的变化》,吉井健《「とても」的词源》等)。在此,借助国立国语研究所语料库开发中心编撰的《日与历史语料库》,尝试梳理一下「とても」的演化过程。

まず「とても」の語源ですが,「とてもかくても」を略したものと見られています。中世ごろには,現代の「大変」「非常に」のような程度副詞的な意味ではなく,「どうせ」「いずれにしても」「どうあろうと」のような意味を表す陳述副詞として用いられていました。次の例は,室町時代の話し言葉を反映する資料とされる『虎明本狂言集』のものです。

首先是「とても」的词源,它是「とてもかくても」的缩写。在中世纪时期,它并没有被用作为诸如现代社会中的“很”“非常”等程度副词,而是被用作为陈述副词,具有“反正”“总归”“不论如何”等含义。下面例句出自于《虎明本狂言集》,这本狂言集反映了室町时代人们的口语

“译:反正都是要买的,我买下了。回家出现在丈夫眼前时的(说明万宝槌的)证据。”(《虎明本狂言集》脇狂言「万宝槌」1642年写)

これが明治頃になると,不可能を表す語句を伴う用法に限定されたとみられています。この用法は現代でも続いています。

资料显示,进入明治时代后,「とても」就只用于表示否定意义的语句之中。并且这一用法一直持续至今。

その後,新村出『日本の言葉』によると,「大正十年ごろ」,「大変」「非常に」のような意味で,肯定的文脈で用いられる程度副詞の用法の「とても」が聞かれるようになったとのことです。新村出が編者である『広辞苑』の初版では,「とても」の項で「明治末期より否定をともなわずに用いる」(p.1557)としています。

之后,新村出在《日本的语言》中指出,“大正十年时”,「とても」开始出现了程度副词的用法,被用在肯定句中表示“很”“非常”等含义。在新村出编纂的《广辞苑》初版里,「とても」的词汇介绍中写着“明治末期开始不用于否定句中”。

「とても大きい」のような,いわゆる程度副詞としての「とても」は,「とても」という言葉の歴史全体から見れば,新しい用法なのです。

因此,纵观「とても」一词的历史,它在「とても大きい|非常大」这类句子中的用法,即作为程度副词,是一种新的用法。

程度副詞用法発生期の「とても」に関する規範意識

程度副词用法发生期时,「とても」的规范意识

次に,前項で確認した新しい程度副詞用法について,どのような使用意識があったのかを確認します。文学者として有名な坪内逍遥の文章に,程度副詞用法に対する意識をうかがわせる記述があります。

接下来,确认一下前文已确定的新用法——程度副词的「とても」是如何被使用的。在知名文学家坪内逍遥的文章中有探讨关于程度副词用法的意识的记述。

最近「とても」这一方言被广泛使用了。众所周知,「とても」是「とても」,「かくても」的缩略词,是方言俗语,所以无论何时都不可能成为标准语(东京话)。尽管如此,最近人们常把它与其他词连用,例如「とても面白い|非常有趣」,「とても有力だ|强有力「とてもよく行はれる|经常去」等。其中也有人连假名都写上了。

(坪内逍遥(1923)「所谓汉字删减案例的分析性批判」:《逍遥选集》春阳堂・1927・p.627)

坪内は程度副詞用法の「とても」を「訛語」「俗語」とし,「標準語(東京語)」の用法とは異なるという判断を示しています。少なくとも大正12(1923)年当時すでに流布していたこと,そして逍遥の言語規範からは外れていたことがうかがえます。芥川龍之介も『澄江堂雑記』(大正7~13年)で,この用法を「新流行」と位置付けて「東京の言葉ではない」と述べています。また,新野直哉「昭和10年代の国語学・国語教育・日本語教育専門誌に見られる言語規範意識―副詞”とても”・「ら抜き言葉」などについて―」には,昭和10年代の国語学に関する専門誌にみられる,この用法を「誤用」視する記述が挙げられています。

坪内把被用作程度副词的「とても」定义为“方言”“俗语”,与标准语(东京话)的用法有差异。从中可以了解到至少大正12年(1923)时已经流传甚广,并且超出了逍遥选集的语言规范范围。芥川龙之介也在《澄江堂杂记》(大正7~13年)中这样描述,这个用法是“新的流行语”,“并非东京话”。另外,在新野直哉的《关于昭和10年代的国语学・国语教育・日语教育专业杂志中常见的语言规范意识-副词”とても”・‘去ら的词语’等》一文中提到,在昭和10年代的国语学相关专业杂志中出现的这一用法属于“误用”。

このように,大正期から昭和初期にかけて,「とても」の程度副詞用法を「きちんとした(東京の)言葉遣いではない」とみなす記述が複数見られることから,当時の中央語の規範意識に照らして程度副詞用法を「間違い」とみなす人は少なくなかったと推測されます。

综上所述,从大正时代到昭和时代初期,认为「とても」的程度副词用法“不是标准的东京话用法”的记载不在少数,由此可推测出按照当时的中央语的规范意识,应该有不少人认为它的程度副词用法是“错误的”。

さらに,辞書を確認してみると,例えば,明治44年の『辞林』(金澤庄三郎編,三省堂)の語釈には「いかようになすとても。いかにしても。どうしても。」(p.1136),大正6年の『大日本国語辞典』第3巻には「どうしてもこうしても。いかにしても。何としても。とてもかくても。」(p.1048),昭和9年の『大言海』第3巻には「イカニシテモ。如何ニストモ。何トシテモ。所詮。到底。」とあるばかりで,「非常に広く使用され」つつあったはずの程度副詞用法への言及はありません。『辞林』の後継,大正14年刊の『広辞林』に「非常に。はなはだしく。すこぶる。」(p.1322)とあり,記載のなかった『辞林』の頃に比べ程度副詞用法の広まりに対する認識のあったことが伺えますが,ここでは「俚語・方言」用法としての扱いでした。

并且,查阅字典后,例如,明治44年版的《辞林》的词语释义是:“いかようになすとても,不论如何,不管怎样“(p.1136),大正6年的《日本国语辞典》第三卷中是这样解释的:“不管怎样,不论如何,不管发生是什么,总之”(p1048),昭和9年的《大言海》第三卷中的词语释义是:“总之,如何ニストモ,不管发生是什么,终归,到底”,完全没有提到逐渐“被广泛使用”的程度副词用法。在继《辞林》之后,大正14年出版的《广辞林》的词语释义中出现了“非常,甚,十分”(p.1322),可以了解到,比起没有相关记载的《辞林》时期,编者意识到了其程度副词用法的广泛使用,不过在此时还是被认为是“俚语・方言”用法。

また,国(文部省)が編纂していた国定国語教科書では,第1期(明治37年)~5期(昭和16年)まで,程度副詞用法は見られません。「流行」していたにも関わらず,俗な言葉として認識されていたからか,規範性が強く求められる資料では,積極的には採用されなかったことがうかがえます。

另外,在国家(文部省)编纂的法定国语教科书中,一至五期(明治37年~昭和16年)都未曾提到过程度副词这一用法。或许是因为尽管它曾经“流行”过,但毕竟被认定为是俗语,所以并没有被规范性强的资料所广泛使用。

これらの材料から考えると,明治末・大正期から昭和の初めにかけて,「とても」の程度副詞用法は,教養人の目に付くくらい「非常に広く使用」されていたが,中央語(東京語)の中では規範的ではないと見る向きが強かったようです。

从以上的资料来看,虽然从明治时代末期・大正时代到昭和初期,「とても」的程度副词用法就已经“广泛使用”到了教育者都不得不关注的程度,但是在中央语(东京话)中,被视作不规范用法的倾向十分强烈。

「とても」の程度副詞用法の定着

「とても」的程度副词用法的确定

では,「とても」の程度副詞用法はいつごろ現在のような形で共通語の中に定着したのでしょうか。このことについて,新野直哉「昭和10年代の国語学・国語教育・日本語教育専門誌に見られる言語規範意識―副詞”とても”・「ら抜き言葉」などについて―」は,昭和10年代初めの国語教育専門誌に用例が見られることから,「国語教育の場ではすでに容認されており,(昭和10年代)後半には共通語の中に定着していた」と見ています。また,昭和10年の『辞苑』に記述があることからも,このあたりの年代には,時に俗語扱いされながらも,定着しつつあったと推測されます。

那么,「とても」的程度副词用法是什么时候变成以现在这个形态固定为通用语的呢?关于此事,新野直哉的《关于昭和10年代的国语学・国语教育・日语教育专业杂志中常见的语言规范意识-副词”とても”・‘去ら的词语’等》认为,因为昭和10年代初的过于教育专业杂志可以看到这一用法,所以“国语教育方面已经承认了这一用法,(昭和10年代)后期就被固定用作通用语了”。此外,在昭和10年的《辞苑》中也有相关记载,从这一点来看,可推测在这个年代,「とても」虽然偶尔被用作俗语,但是正在逐渐成为通用语。

昭和22年より使用された第6期国定国語教科書『国語』に,次のような例がみられます。

从昭和22年开始使用的第六版法定国语教科书《国语》中,出现了以下例句。

国定の国語教科書で使用されるに至って,遅くともこの時期には,「中央語の言語規範に抵触しない言葉遣い」の仲間に入ることができたと言ってよいでしょう。

虽然有点晚,但是可以说直到被法定教科书使用的这个时期,「とても」才真正成功进入了“不违反中央语语言规范的词语用法”的行列之中吧。

本内容为沪江日语原创翻译,严禁转载。

相关阅读推荐:日语里的「絶対」应该翻译成“绝对”还是“一定”?